世論にあおられて、「ビジョン」を描いてみたけど、その通りにいかない・・・。これはつまり、すでに「戦略」になってないってことを証明しているのでは。
いろんな看板をかかげては倒れる。それでもめげずに方針を打ち出し、成長ポーズをとり続ける。いろんなポーズをとるということで、「モデルさん経済」といえるのではないかな、と勝手に考えてみました。
「戦略」って言葉に酔っぱらっているのなら、はやく酔いをさましていただきたいものであります。
世論にあおられて、「ビジョン」を描いてみたけど、その通りにいかない・・・。これはつまり、すでに「戦略」になってないってことを証明しているのでは。
いろんな看板をかかげては倒れる。それでもめげずに方針を打ち出し、成長ポーズをとり続ける。いろんなポーズをとるということで、「モデルさん経済」といえるのではないかな、と勝手に考えてみました。
「戦略」って言葉に酔っぱらっているのなら、はやく酔いをさましていただきたいものであります。
たとえば
1)国民の緊縮疲れにつけこんで人気を獲得
↓
2)選挙で集票に成功するも、金融市場やドイツなどの反発し政策実現に行き詰まり
↓
3)政策を修正
↓
4)人気凋落
↓
5)再選挙。再び緊縮政策。国民には倦怠ムード。
世界経済破綻にまっしぐら
とか
国民が緊縮を歓迎するほどに経済への理解が深まる
とか
そんなシナリオもあるのでしょうか。
日本ではどうでしょう。
消費税の税率引き上げ話に終始していますが
その是非よりも、
徴税する側の信頼度の低さ
納税する側の納税意識の低さ
が、大きな災いになっていないでしょうか。
まだまだテーマがありますが
ひとまずここでコーヒーブレイク。
コーヒーを飲みながら、改めて各紙を読む。

電気料金は上げる話ばかり。消費税もそう。年金もそう。負担をどううけいれるか、についてが、経済政策のテーマになっているかのようだ。
負担は重くないほうがいいに決まっている。でも、受け入れなければさらに悪いことを招くことが決まっているなら、話は別なのかもしれない。
特に、年金の負担増は、すべて「少子高齢化の進行」のせいになっている。深刻な問題になることがわかっているなら、負担増を議論する前に、少子高齢化の管理をタブー視せずに手を打つべきだった。厚生労働省は、賦課方式から積み立て方式への変更論に反論をしている場合なのだろうか。
・・・少なくとも、いまからでも、手を打つべきだ。
電気料金はまた値上げか。そろそろ暑くなってきたし。
どこまで負担をすれば幸せになるのだろうか。そもそも、負担の末に幸せは訪れるのだろうか。
ふう。コーヒーが体にしみる。
そうだ、その前に、わたくし自身が本日から、立場の違う仕事に就く(産経新聞2面参照)。プロフィールは追ってそのうち、変更いたします。
知人のコンサルタントが、「及び腰なんですよね。まあ、仕方がないんですけどね」と、伏し目がちでした。
何がか、というとよその人やほかの会社と一緒に事業をすることにです。
このコンサルタントは、Aの得意分野と、Bの得意分野をひきあわせれば、とってもすごいことができるのではないか、と日夜考えている人です。コンサルですから、「こうすれば、もうかるよ」と教えて、引き合わせて、組み立てて、資金の必要があれば金融機関も引き合わせて、お互いが手を組むことになれば、報酬を受け取るというビジネス・・・だと思われます。成功報酬ということも、場合によって、あるかもしれません。
でも、設計図をかいて、関係者をひきあわせて、それまでに関係者ですら期待していなかった相乗効果が生まれる可能性、(あるいは確実性)について説明をしても、乗りってこないことが多いらしいのです。
コンサル当人は、事業機会を逸した寂しさだけでなく、「もうけられるのに、もったいない」の思いを強くしているようなのですが、引き合わされた当事者には、さまざまな思いもあるようで。
どうも、そこには信頼性のかべがありそうです。
お見合いをしてすぐに相手を信頼できるかどうか。事業であれば、契約で成立するので、信頼の有無にかかわらず、契約の範囲では業務をこなすものではありますが、そこは人がなせるもの。事業の途中で迷ったり、それこそ最近はやりの「想定外の事態」に出くわしたりすることもあるわけで、そうなると、お互いのためにどうすればいいのか、相談をしたり、ときには譲り合ったりしなければいけない。契約の修正や、追加をすることもある。契約があっても、信頼ができる、できない、が大きくものをいうわけです。相手が自分を値踏みしていると思えば、こちらとして気持ちが良くない、なんてことから信頼にひびがあはいることもあるらしいです。
これはやがて、利益の配分の問題、事業の主導権の問題なんかに発展しかねないし、失敗したらその責任の所在の問題にはねかえりかねないし・・・
なにやら難しいですね、コラボって。
でも、なんだかなあ、と思うわけです。
契約、責任、利益でガチガチなのはわかるけど、どうも夢がない。
「夢」でめしが食えるか・・・っていつも言われます。
「夢」だけでは、食えないかもしれませんが
「夢」がなきゃ、事業を続けにくいのではないかな、なんて考えます。
何かを選んだり、始めたりするときの決断は、
損か得か
正しいか間違っているか
好きか嫌いか
がからまって、決まるような気がしています
(「いや、できる、できない」も大きい、などの指摘もあります)
正しくて、好きで、得である選択ができれば、たぶん、HAPPYなんでしょう
でも、「好きか嫌いか」は主観が左右します。
結局は、相手を信頼できるか、相性はどうか、などが、全体の判断に大きく影響してしまいそうであります。
などと、えらそうに自分で会社を作っているわけでもないのに、
外野席から経済をみていて感じたことを
つらつらと書いてしまいました。
本日のデスク当番、無事終了。
・・・本当に無事であるかどうかは、ある程度、本日の紙面について評価が定まらないわからないわけではありますが。
で、その「無事」という言葉、被災地の方々にとっては、安易に発せない言葉であるのかもしれません。すでに有事なわけですから。
もうひとつ考えてしまうのが、義捐金や支援が東日本大震災の被災地に集中している結果として、それとは別の苦労をされている方に寄せられるべき善意が、十分にさしむけられなくなりはしないか。病気やけが、その他、人に知られていないものまで含め、とてつもなく大きな苦労を抱えている方は、被災地以外にも全国にいっぱいいらっしゃいます。原発の事故があまりに劇画的で、東京電力という大きな会社の経営がゆさぶられ、政局もからみ、と仕掛けが大きいためにどうしても話題は集中するのですが、救いの手を差し伸べるべきは、ほかにもいっぱいいらっしゃいます。
偽善者ぶるつもりはないのですが、ただ、私の大切な友人が、やはり苦労をしているので、たとえいまの世の中の苦労の代表が東北などの被災地であるとしても、それが苦労のすべてではないことを、どうしてもアタマの片隅においてしまうのであります。
そんなことを考えると、従来の苦労を、被災者の苦労のかげにおいやってしまったという意味でも、原発事故をうらめしく思えてしまうのであります。
自分の手柄を目立たせ、失点を覆い隠そうとする政治家と、その顔をどうすればたてることができるのか、ということにばかり全神経を集中させていることが明らかな周辺の態度には鳥肌がたちます。幸せはわかちあえても、欲望は他人の欲望や幸せを犠牲にするものなのでしょう。
おっと、話がずれてきた。本日はこのへんで。
苦労しそうな人にむけて、「どうかご無事で」は挨拶の常套句ですが、すでに有事である方々が多い中で、
本日は当番デスクとして、出勤です。
台風が一部上陸しているので、締め切りが早まりそうです。
さ、準備に入らねば。
ついこの間まで
過剰設備が問題だった日本経済がさまがわり。
でも根底ではかわっていないんでしょう。
それがこれから、現象面で出てくるのだと思います。
日本経済が縮んでいるっていわれています。
少子高齢化進むらしいし、その影響で高齢者対応のために必要な費用のほか、社会保障関係費は毎年、新しい政策を打ち出さなくても1兆円ずつ増えるらしいし。ということは、歳出が増えることだけは約束されていて、歳入の保証がないっていうことのようです。
なおさらカネのかかる大がかりな政策を打ち出すには躊躇しそうです。
政府は新成長戦略だ、TPP加盟だ、と言っています。言うだけでできるかえどうかはわからないし、そもそも言っていることも正しいのかどうか。
でも、ワタクシは勝手ながら、テンションだけは高くキープしますぞ。「元気、だそうよ」と声をかけるなら、元気よくかけたいじゃないですか。
商店街から活気がなくなっているという話が多い中、行列ができる店もあるようです。そんな希望にみちた話、取材にいきたいです。元気に取り組んでいる人の話をききたいです。
制作は打ち出せなくなりそうです。
も膨らんでいるときに抱えていた悩みが
大阪を地盤に活躍しているふたつの経済団体が5月に統合することが発表されました。
ふたつの団体とは、関西一円の製造業など大企業、有力企業が主な会員となっている関西経済連合会(関経連)と、大阪の中堅企業、中小企業が主に加盟し労務対策などを担う関西経営者協会。
経済連合会、経営者協会は地域ごとにありますが、統合は全国初だそうです。大阪では大阪工業界という団体と大阪商工会議所が平成15年に統合していますので、6年ぶりの財界再編ということになります。すでに全国組織である旧経団連(経済団体連合会)と日経連(日本経営者団体連盟)が平成14年5月に統合済み(現、日本経団連)ですので、地味な話ではありますが、これが地元ではちょっとした話題になっております。
最大の関心事は、ほかならぬ日本経団連との関係です。
というのも、統合する一方の関経連は、これまでずっと経団連と対等の立場を維持し、昭和21年の設立以来、経団連に加盟していません。
一方の関経協は経団連に統合される前の日経連の地方組織として発足していて、現在はれっきとした経団連の会員。
統合によって独立維持派と、経団連派がいりまじることになるのです。うまあく調整しないと、統合して分裂する、なんてシャレにならない話になりかねません。
取材したマギー記者、アッキーナ記者によると、記者会見では関経連の下妻会長は「関経連のポジションを維持しながら、中央の経団連との関係をうまく維持する方策を模索している」と話したそうです。どうやら関経協が担ってきた労務対策のための別の外郭団体を組織し、その団体を経団連に加盟させて従来の関係維持をはかり、一方で本体の関経連は加盟しない、ということにする方法を落としどころとして可能性を探っているようです。
うまいこと考えたようではありますが、統合したら経団連に納める会費は関経連のフトコロから出ることになるわけで、独立派の方々がどこまで納得するものか。
垂直落下経済のなか、地味なニュースではありますが、しばらく関西経済のトピックスのひとつになりそうです。
取材したマギー記者、アッキーナ記者によりますと、関経連のポジションを維持しながら、中央の経団連との関係をうまく維持する方策を模索している
企業のトップが新年にあたり、社員に所信を表明するのは珍しくありません。それぞれ自分の考えを伝える表現を知恵をしぼって、ひねりだした言葉であると考えられるため、テレビ、新聞などメディアをとわず、とりあげられます。
しかし、今年は目立つのです。1961年の米ケネディ大統領就任演説の引用が。しかも、引用箇所は、特定部分です。原文では、以下の箇所にあたります。
And so, my fellow Americans:ask not what your country can do for you -- ask what you can do for your country.
My fellow citizens of the world: ask not what America will do for you, but what together we can do for the freedom of man.
釈迦に説法ですが、ケネディ氏が自由獲得への強い意気込みを示した部分で、自国民には、国に頼るのでなく国への貢献を示せ、世界に対しては米国を頼るのではなく、いっしょに自由獲得への取り組みに手を携えることを訴えたくだりです。
経営トップは、これを、社員に対し、企業を頼るのではなく社員としての貢献を示せ、という具合に転用するわけです。
聞き及ぶ限りでは、某機械メーカー大手、某小売大手ほか、中堅企業トップも活用したようです。
大量解雇時代に突入し、経営トップとしては、限られた経営資源の投入先選別が厳しく迫られているとの認識なのでしょう。優秀な社員にこそそれを投入したい、という焦りがにじみ出ているように感じました。
責任を取ること、許すこと、潔いことはカッコいい。そう再評価できる年になればいいな、と願ってやみません。
偽装表示への怒りはウソへの怒り。でもそのカゲには、たとえば、正しく「中国産」と書くと売れない、という事情があります。でもその事情は、偽装をごまかして覆い隠すべきものではなく、正しい表示をしても受け入れられるよう努力をして克服すべきだったのでしょう。それでも克服に費やすコストや時間は、企業にとっては収益の圧迫要因でしょうから、手っ取り早く、消費者にウソをついて近道をしたのでしょう。手っ取り早くても、してはいけないことはしない。そこを共通のルールとして守る社会にしたいし、そのためにはウソに寛容な空気を一層するように、社会にいるみんなが全力で戦わないといけないのでしょう。責任を取るために全力をつくす。それは、責任をとっているようにみせかけるためにごまかす、というのとは全く異質なものだと思うのです。
企業による非正規従業員を含めた社員切りにも似たような事情を感じます。派遣従業員については、その従業員をそもそも雇っている派遣元の企業があるわけですから、雇用打ち切りを決めた企業ばかりに批判が集まることは一義的には間違いでしょう。ただ、忙しいときにだけ間に合わせのように人材を使える仕組みが、便利な仕組みであるように存在していることに疑問を持たざるを得ないのです。感情があり、生活もあるヒトについては、雇う時点で責任が伴う。商法五十に条によると会社とは、「商行為ヲ為スヲ生業とするために設立シタル社団」だそうです。だから、利益追求は否定されるべきでなく、むしろ奨励されるべきです。しかし、ヒトについては他の収益圧迫要因と同類に考えていいのかどうか。もし、それでかまわないということであれば、会社勤めそのものの制度疲労を感じざるを得ないのです。会社が将来にわたりヒトを雇い、繁栄を続けようということであるなら、ヒトへの対応に責任を持つほうが、長期的な損得勘定にもかなうと信じます。
執筆時点であと14時間で新年を迎えますが、新年は、社会全体で責任をとることのカッコよさ、潔いことのカッコよさ、それと、責任をとり、潔い対応をとったときには、世間がこぞってつるしあげるのではなく、それを認めて許すカッコよさの大きな価値を再確認する年になればよいなあ、と感じます。
…なんつって、潔くもなく、無責任でテキトーにすごしてきた自分が、自省をこめるためだけに書いてみた次第。
by kentanto
トホホな「モデルさん経済」